昭和4年4月
 入植した養老牛原野は、一面雪に覆われていた。雪山を初めて見る私は、ただ呆然(ぼうぜん)と見とれていた。また私の想像していた入植地とは異なり、平坦な地形で本当に安心することができた。寒さも思っていたほど寒く感じなかった。
 日中は、日当たりの良い場所に、あちらこちら黒土をのぞかせて、長い眠りから覚めた大地の、生命の躍動を覚えた。南国育ちの私には、見るもの聞くもの、すべてが珍しく、好奇心が募るばかりであった。
 私たち子どもにとっても、さびしさと不安の中で人生の大変換であった。そんな中でも、入植の特権として、土地十町歩という広大な地主となる喜びがあった。私もそのころ、新天地とか新開拓とか、強い興味を持つ少年になっていた。
 小学校の入学式は種々の都合で1カ月遅れの5月であった。全校児童生徒は小学生だけで78名を数えた。学校では友人との対話で、言葉が通用しないことが多かった。出身地が南は九州から北は青森県と多様であったからだ。私は九州だから、九州、四国、関西の一部とは交流があったので、聞き取ることができた。しかし東北地方、ことさらに「ズーズー弁」は、全く理解することができなかった。
 みんな、少しでも通用するように、「よそ行き言葉」を使って、お互いに気配りをしていた。みんなの苦労で、「お持ち寄り言葉」が生まれた。現在では当地の言葉は標準語に近いと言われている。
 開校して2カ月経てば、子どものことだから、すぐに仲良しになった。また世間並みにグループもできて、小さいながら「いじめ」もあった。
 夏休みになり、5、6年生の男子数人で、「養老牛温泉を見に行こう」という話が持ち上がった。名称を「温泉探検隊」と言い、『少年倶楽部』に出てくる冒険小説の気分となった。いよいよ「少年温泉探検隊」の出発の日となった。「内地」から来たばかりなので、言葉のほか、服装や履物も異なっていた。学生服を着る者がいたが、多くは着物であった。中にはモンペ姿の者もいた。履き物もまちまちで、長靴、下駄、草履などを履いていた。
 探検隊は市街地から北に向かって、元お寺の横を通り27号を横切った。今もその辺りに、200メートルほどの昔の道が残っている。70年前が思い出されるその道を見ると、感無量である。
 さて防風林を横切って崖崩しを下り、沢を越えて平地に出た。前方に農家が点在していた。家々に沿って道があって、50線に出た。小川を渡り、右斜線に28号に登って行った。28号の手前に農家があったが、28号は開削道路ではなく、踏み分け道路であったと思う。元気の良い探検隊は、一気に頂上に駆け登った。そこで小休止となった。
 計根別方面から俣落方面に掛けて見渡せば、地球が丸く見えるように展望できた。壮快といおうか、広大といおうか、その雄大さに驚嘆するばかりであった。途中、数人の温泉帰りと思われる人たちに出会った。やはり「温泉はあるのだなぁ」と思った。
 本流の川は大きく、川幅も広かった。そこには二本の丸太を針金で縛った丸木橋が架かっていた。子どもの目にも、さすが本流だなぁと思わせた。川を渡ると原始林が続き、生い茂る密林で昼でも薄暗く、真夏だと言うのに、冷え冷えとした空気を感じた。
 密林を進むこと数十分、突然視界が開けて平地に出た。46線のちょっとした馬車道であった。それは開陽、武佐から温泉に来る道路であった。その道を北に向かって緩やかなカーブを曲がると、だんだん両側が見上げるような山峡にと、吸い込まれる感じの地形へと変わってきた。その時、どこからともなく硫黄の臭いがしてきた。「温泉だ」とみんなが走り出した。こんな山の中に、立派な家が建っている。これが温泉であった。大きな「第一旅館」の看板が強く印象に残っている。本流には木橋ではあるが、馬車も通れる橋ができていた。
 以下は、養老牛温泉の鉱泉使用許可を得た西村武重氏の著書をひもといて知ったことである。西村氏が大正の初期、初めて養老牛温泉に来た時、一戸に3、4人が居住できるアイヌ民族の三角仮設住居が数棟建っていたと記してある。その時、西村氏も20代だったという。遠い昔の事に驚くばかりである。
 大正の初期に、開陽を中心に、200〜300戸の入植者がいて、俣落から温泉に斜線開削馬車道ができた。これは西村氏の自費同様で完成したと聞き及んでいる。
 このような西村氏の不撓不屈の努力があってこそ、養老牛温泉の基礎が築かれたのだろう(2009年発行「自分史 新天地を求めて」より抜粋)

1941年(昭和 年)ころ井野孝さん(養老牛)提供


※養老牛温泉は、300年もの昔にアイヌ民族が発見し憩いの場であり、古式豊かな熊祭りの場として利用されていました。この話は標茶町虹別のシュワン部落のアイヌ民族の長・榛(はしばみ)幸太郎という人の言い伝えによるものです。
 西村武重氏が苦労して何年もかかって鉱泉使用の許可を得たのが大正10年のことでした。温泉旅館の建築にとりかかり、西村氏は養老園を開設しました。(1999年発行「養老牛 栄光の70年」より)

釧路新聞掲載
・養老牛入植80年 【1】→【2】→【3】→【4】→【5】【6】
更新日:2011年 10月 26日 水曜日



北海道中標津町養老牛